2011年 09月 19日
拾い食い |
新地町のジェントルマンはこの季節になるとキノコに目がないようで、「オレのシマは誰にも教えない。」と含み笑いをしてみたり、「小指くらいのがえんだな。でかいのは虫が入っとる」と秘伝を公開したりなのだが、栗までは関心が無いようだ。
鹿狼の湯に上がる道ばたに落ちている栗を拾って、レンジにかけて食べてみた。結構イケルではないか。大きさこそちょっと大きなドングリと似たようなものだが、味は紛れもない栗。みかんと同じように「味の総量は大きさに関わらず一定」なのかもしれない。戦後の造林時代にも、栗の木は切らずに残したようだ。
飢饉というものも、日本人の頭からはすっぽり抜け落ちているようなのは、大変仕合せなことなのだが、世界を見るとあちこちで飢饉に苦しむ人々は無くならないようだと、糖尿病の腹に小さな栗を落としながら思う。
引っかかっているのは昔「高瀬高倉麻生原死んでも行くな宇多の埒浜」という言葉。「あそこは新地だから伊達じゃない」とか、「新田なので嫁がこきつかわれる」とかいうことだそうだが、まだこの国に飢饉というものがあった時代の言葉だろう。
今回被災した集落は陸前浜街道沿いにある。自分の意志で、成功を夢見て入植した人々が集落の歴史を作って来たのだろうが、自分の意志に反して、無理矢理入植せざるを得なかった人たちが、居なかったかどうかが気になる。
じっと耐える新田の埒浜に比べると、宿場町の町並みを持つ釣師は、諸国の人々が住み着きやすい所でもあったようだ。「イケスで全国制覇」とか「波を見ながらスパゲティ」とか、釣師にはカラフルな人が多い。磯山のヘアドレッサーもそうかもしれない。
by dehoudai
| 2011-09-19 09:22
| まちづくり
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