2011年 09月 08日
神聖 |
一見江戸の下町の板塀に、立ち小便よけに描かれた鳥居のようにも見える。しかし立てた人は「神聖なお山にゴミを捨てるとは何事か。」という心だろう。
三輪山に始まり御嶽山・大山と、山そのものを「神聖なるもの」とするのは日本人の身に付いた感性だった。
現在の日本では、林道の人目につかないところに古タイヤを捨てるなど、そうした日本人の自然に対する態度が大きく崩れてしまっている。「巨人軍のナイターを見るためには、人里離れたところに原発を建てるくらいは、シカタガナイ。」というのが、鈍感になった我々の行き着いたころだった。
by dehoudai
| 2011-09-08 08:11
| きせつ
|
Comments(0)