2011年 08月 12日
石松の墓 |
妻が在所の墓掃除に行く、と言うのでついて行った。私はさる人より「震災復興で勝負に出るヤツがいるかもしれんから、石松の墓のカケラを持ってこい。」という密命を帯びていたのだ。妻を森町の別の寺に降ろし、大洞院へ向かったのだが、破壊活動に使う道具が無いことに気づいた。仕方無く「流れも清き太田川」で手頃な石を拾い、窃盗行為に及ばんとしたが、徒労であった。
オリジナルの石塔もあるのだが、こちらは頑丈な鉄格子に囲まれていて手が届かない。現在の墓石はご覧の通り、欠けそうなところは欠き尽くして、丸みを帯びている。どうしてもカケラを持ち去りたいという向きは、ノミとハンマー、望むべくは削岩機など用意しなければならない。
これではシロートには無理だ。建物の外からパチンコ屋の事務所にユニックの先端を突っ込んで金庫をワイヤで縛り、そのまま引っこ抜く、という類いの専門家もやって来るのだろう。
墓石を新調しても、すぐに割られてしまい、これが三代目ということで、業を煮やした石屋がめちゃくちゃに固い石を用意したのではなかろうか。アフリカンブラックみたいな石だ。
河原の石でコンコンとやってみたが、墓石はびくともせず、逆に河原の石の方が割れてしまった。仕方が無いからこちらを土産にしよう。
「秋葉の火祭り」と言っても石松の時代の様に、森町へ一泊、麓の犬居へ一泊という旅では無く、皆頂上の駐車場へ乗り付けてしまうので、森町もかっての「小京都」の面影は薄れて行く。
森町では第二東名の取り付け道路の工事が進んで居り、犬居へ越すかっての秋葉街道の、峠のトンネルは朝晩通勤渋滞だ。街道筋の「リプトン」の事業所には、以前は「日東紅茶」とあった。その昔「大日本紅茶製造」の看板を掲げて、我が国最初の紅茶の製造に乗り出した人が居た名残だろう。
ついでにお茶もと思い、何度か道の駅で買ったことのある「伊藤屋」を探してみた。三倉だというので登って行ったのだが、まあ三倉も良いとこ、大日山の麓、川根に近い三倉という深山幽谷だった。道理でお茶が美味しいわけだ。「福島へ持って行く。」と言ったら、ご亭主は「警視庁の元剣道師範が南相馬に隠居して居り、そこへも送っている。」とのことだった。
福島の浜通から遠州森町と言うと「知らぬ他国」とも思えるのだが、意外な繋がりがある。「東海遊侠伝」の作者天田五郎は磐城平藩士の子。戊辰戦争の後諸国を放浪している間に、清水港山本長五郎の食客となり、上掲書を著した。本書が無ければ神田伯山も、広沢虎造も無く、「博打打ちのお守りは俺んとっから出んだ。」も無いのである。石松も天田愚庵の大恩に奉じて、震災復興に手を貸しても良いのである。
オリジナルの石塔もあるのだが、こちらは頑丈な鉄格子に囲まれていて手が届かない。現在の墓石はご覧の通り、欠けそうなところは欠き尽くして、丸みを帯びている。どうしてもカケラを持ち去りたいという向きは、ノミとハンマー、望むべくは削岩機など用意しなければならない。
これではシロートには無理だ。建物の外からパチンコ屋の事務所にユニックの先端を突っ込んで金庫をワイヤで縛り、そのまま引っこ抜く、という類いの専門家もやって来るのだろう。
墓石を新調しても、すぐに割られてしまい、これが三代目ということで、業を煮やした石屋がめちゃくちゃに固い石を用意したのではなかろうか。アフリカンブラックみたいな石だ。
河原の石でコンコンとやってみたが、墓石はびくともせず、逆に河原の石の方が割れてしまった。仕方が無いからこちらを土産にしよう。
「秋葉の火祭り」と言っても石松の時代の様に、森町へ一泊、麓の犬居へ一泊という旅では無く、皆頂上の駐車場へ乗り付けてしまうので、森町もかっての「小京都」の面影は薄れて行く。
森町では第二東名の取り付け道路の工事が進んで居り、犬居へ越すかっての秋葉街道の、峠のトンネルは朝晩通勤渋滞だ。街道筋の「リプトン」の事業所には、以前は「日東紅茶」とあった。その昔「大日本紅茶製造」の看板を掲げて、我が国最初の紅茶の製造に乗り出した人が居た名残だろう。
ついでにお茶もと思い、何度か道の駅で買ったことのある「伊藤屋」を探してみた。三倉だというので登って行ったのだが、まあ三倉も良いとこ、大日山の麓、川根に近い三倉という深山幽谷だった。道理でお茶が美味しいわけだ。「福島へ持って行く。」と言ったら、ご亭主は「警視庁の元剣道師範が南相馬に隠居して居り、そこへも送っている。」とのことだった。
福島の浜通から遠州森町と言うと「知らぬ他国」とも思えるのだが、意外な繋がりがある。「東海遊侠伝」の作者天田五郎は磐城平藩士の子。戊辰戦争の後諸国を放浪している間に、清水港山本長五郎の食客となり、上掲書を著した。本書が無ければ神田伯山も、広沢虎造も無く、「博打打ちのお守りは俺んとっから出んだ。」も無いのである。石松も天田愚庵の大恩に奉じて、震災復興に手を貸しても良いのである。
by dehoudai
| 2011-08-12 08:21
| まちづくり
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