2011年 05月 28日
風雲編 |
脳内が放射能に汚染されてしまったので、放射能除去の為に前から読もうと思っていた
人生劇場風雲編
尾崎士郎
文藝春秋社 昭和27年
を入手。装丁の紙質が良い。今時こんな紙質の表紙は、中国でも余程山奥へ行かないと無いのではなかろうか。活字が良い。旧字体、旧仮名遣いだからこそ、当時の人々の読んでいた小説、と言えるのだ。古書の醍醐味である。
中川一政さんの表紙は路面電車の停留所の様だ。瓢吉従軍の頃、黒馬先生が酔いつぶれていた情景だろうか。
物語は昭和13年を舞台に、それまでと同じ「成り行き」に流されて行くのだが、「非常時には自分の頭で考えてはいけない。ただ前進あるのみ。」というわけで、成り行きの流速が大きくなって、飛車角小山角太郎さんは花火で片腕を落としてしまう。
どうも気になるのは昭和13年はともかく、本書の出版された昭和27年当時の当時の発電容量はというと、 エネルギー白書によれば
1952年 9,210,000kW 1.0倍
1970年 557,100,000kW 6.05倍
2009年 1,921,000,000kW 20.86倍
となっている。建設業から見ると、バブル景気もバブル崩壊もなく、ただ右上がりに推移しているのが面白いところだ。
2009年の原子力4,885万kWに対して、揚水発電容量2,564kWが殆ど利用されていない、というのも気になる。
というわけでやはり脳内が放射能に汚染されてしまっているのである。
人生劇場風雲編
尾崎士郎
文藝春秋社 昭和27年
を入手。装丁の紙質が良い。今時こんな紙質の表紙は、中国でも余程山奥へ行かないと無いのではなかろうか。活字が良い。旧字体、旧仮名遣いだからこそ、当時の人々の読んでいた小説、と言えるのだ。古書の醍醐味である。
中川一政さんの表紙は路面電車の停留所の様だ。瓢吉従軍の頃、黒馬先生が酔いつぶれていた情景だろうか。
物語は昭和13年を舞台に、それまでと同じ「成り行き」に流されて行くのだが、「非常時には自分の頭で考えてはいけない。ただ前進あるのみ。」というわけで、成り行きの流速が大きくなって、飛車角小山角太郎さんは花火で片腕を落としてしまう。
どうも気になるのは昭和13年はともかく、本書の出版された昭和27年当時の当時の発電容量はというと、
1952年 9,210,000kW 1.0倍
1970年 557,100,000kW 6.05倍
2009年 1,921,000,000kW 20.86倍
となっている。建設業から見ると、バブル景気もバブル崩壊もなく、ただ右上がりに推移しているのが面白いところだ。
2009年の原子力4,885万kWに対して、揚水発電容量2,564kWが殆ど利用されていない、というのも気になる。
というわけでやはり脳内が放射能に汚染されてしまっているのである。
by dehoudai
| 2011-05-28 13:57
| ほん
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