2011年 05月 25日
サルシッチャ |
フォックス君のサルシッチャだが、味はまあまあ。「加熱食肉食品」というのがイケナイのだ。サルシッチャは自分で焼くなり茹でるなりしないと、どうもいけない。ところが日本人は元来肉を食べる習慣が無いから、「冷凍食肉食品」を商おうとすると、法律の制約などあり、大変なのだろう。
以前はCERVITUの肉屋の親爺が自分で作っていて、これはとても美味かった。作者の見える食べ物は安心でもある。しかし経済効率からすれば「集約化・大型化・近代化」というわけで、美味いものはどんどん消えてゆく。
「食べ方」が違えば法律もそれに従うのであって、美味いサルシッチャが食いたければブラジルへ行け、というのはある意味正解。先日のO-111は「食べ方」と「集約化・大型化・近代化」の間に隙間があった為だ。
韓国では「集約化・大型化・近代化」以前の昔ながらのやり方で、肉屋の親爺を見張っているそうだが、これから「集約化・大型化・近代化」の波が押し寄せると大変だろう。
学生時代にバルセロナの小料理屋で、生茹での腸詰めを食って腹をこわしたことがある。まだガキだったので、「これはこういうもんだ。」と無理して食べたのがいけなかった。今なら「おーい、ゆだってねーぞ、親爺ぼけたんじゃんえーか?」とやるところだ。
「集約化・大型化・近代化」がすなわち安全かというと、HCCP規格の衛生管理を誇る近代的な工場にもネズミは暮らしているようで、これがなかなか難しい。
以前はCERVITUの肉屋の親爺が自分で作っていて、これはとても美味かった。作者の見える食べ物は安心でもある。しかし経済効率からすれば「集約化・大型化・近代化」というわけで、美味いものはどんどん消えてゆく。
「食べ方」が違えば法律もそれに従うのであって、美味いサルシッチャが食いたければブラジルへ行け、というのはある意味正解。先日のO-111は「食べ方」と「集約化・大型化・近代化」の間に隙間があった為だ。
韓国では「集約化・大型化・近代化」以前の昔ながらのやり方で、肉屋の親爺を見張っているそうだが、これから「集約化・大型化・近代化」の波が押し寄せると大変だろう。
学生時代にバルセロナの小料理屋で、生茹での腸詰めを食って腹をこわしたことがある。まだガキだったので、「これはこういうもんだ。」と無理して食べたのがいけなかった。今なら「おーい、ゆだってねーぞ、親爺ぼけたんじゃんえーか?」とやるところだ。
「集約化・大型化・近代化」がすなわち安全かというと、HCCP規格の衛生管理を誇る近代的な工場にもネズミは暮らしているようで、これがなかなか難しい。
by dehoudai
| 2011-05-25 09:50
| たべもの
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