2011年 03月 21日
西図書館 |
久しぶりに西図書館へ行った。中央図書館は浜松城旧出丸跡であって、郷土資料室はともかく、蔵書もそれほど多くはない。
西図書館は工業地域を取り巻く、緩衝地帯としてデザインされた住居地域の中にあって、日本を支える労働者諸君の本箱、という感じだ。
この辺りの町並みにも愛着がある。近くには平安時代の浜松駅の遺跡もある。駅の跡地周辺を埋め立て、鉄道院の工場を造ったのが、近代工業都市としての浜松の始まりのひとつだ。
借りて来たのは歌に関する本を何冊か。丘の上の白い家で「知識人」達が大江健三郎など読んでいた頃、勤労青年達はフォークソングなぞ歌っていたのだ。
竹田の子守唄
藤田正
解放出版社 2003
その昔、フォークソングという商品ジャンルがあって、「竹田の子守唄」という歌が流行った。歌が出来るまで、そしてその後を丁寧に追った好著。元歌のCDも付いています。元歌は明るいのですね。実際に苦境にある人々は「お涙頂戴」とは言わないものなのでしょう。
寺の坊んさん 根性が悪い
守り子いなして 門しめる
どうしたいこーりゃ きーこえたーか
というと、根性が悪い坊んさんも居たかもしれないが、守子の群れに境内を占拠されて困りはてている坊んさんが思い浮かびます。
苦境にある子供でも群れをなしていれば、声をそろえて根性の悪い坊んさんをやっつける事が出来ます。しかし現代ではそうして群れを作る事も無く、子供が産みの母親に蹴り殺される様な事件が多発しています。身分制度も不条理ですが、孤立して他者との「間」が無くなってしまうと、「人間」はただの生物学的な「ヒト」になってしまう。
少年Mのイムジン河
松山猛
木楽社 2002
「パッチギ」という映画の原作ということだ。結構「京都の匂い」のする少年向け読み物。
もう話してもいいかな
松山猛
小学館 2006
上掲書で書ききれなかったことを、書いたのだろうと思われる。「平凡パンチ」「アンアン」「VAN」「JUN」「カメラ」「時計」から"Foxfire"に至るまで、我々の時代の「若者ファッション」がどのようにして形作られて行ったのか、という情景描写は面白い。最近で言えば「麗江」「ハロン湾」という訳だ。これって今にして思えば文明開化の続きなんですね。
そして最後は「焼き物」となると、もう勘弁してヨという感じだ。
All Over Creation
Ruth Ozeki
Viking 2003
Penguin Books 2004
には風水に凝り楽茶碗を愛でる「米国消費文明を影で操る翁」みたいな人物が出て来るが、まさにそんな雰囲気。
本書で面白いのは題名。「もう話してもいいかな」というのは読者に向かって語りかけると見せかけて、実は別の読み方もありそうだ。「イムジン河」から「悲しくてやりきれない」までの間に、「見てはイケナイもの」を見てしまったはずの著者なので、その辺りの事、なぜ加藤和彦君が自殺したかについても知っているはずなのだが、何も書いてない。書いてない事が逆に闇の深さを暗示している。「まだ話してはいけない」のだ。
もうひとりのイルカ物語
イルカ
マガジンハウス 2008
イルカがカメ吉君との暮らしを綴っている。晩年の家尊が「パーキンソン氏症候群」を患っていたので、暮らしぶりはおおむね想像出来る。「人間、病気では死なない」のだね。カメ吉も「男のロマン」のくちだ。
西図書館は工業地域を取り巻く、緩衝地帯としてデザインされた住居地域の中にあって、日本を支える労働者諸君の本箱、という感じだ。
この辺りの町並みにも愛着がある。近くには平安時代の浜松駅の遺跡もある。駅の跡地周辺を埋め立て、鉄道院の工場を造ったのが、近代工業都市としての浜松の始まりのひとつだ。
借りて来たのは歌に関する本を何冊か。丘の上の白い家で「知識人」達が大江健三郎など読んでいた頃、勤労青年達はフォークソングなぞ歌っていたのだ。
竹田の子守唄
藤田正
解放出版社 2003
その昔、フォークソングという商品ジャンルがあって、「竹田の子守唄」という歌が流行った。歌が出来るまで、そしてその後を丁寧に追った好著。元歌のCDも付いています。元歌は明るいのですね。実際に苦境にある人々は「お涙頂戴」とは言わないものなのでしょう。
寺の坊んさん 根性が悪い
守り子いなして 門しめる
どうしたいこーりゃ きーこえたーか
というと、根性が悪い坊んさんも居たかもしれないが、守子の群れに境内を占拠されて困りはてている坊んさんが思い浮かびます。
苦境にある子供でも群れをなしていれば、声をそろえて根性の悪い坊んさんをやっつける事が出来ます。しかし現代ではそうして群れを作る事も無く、子供が産みの母親に蹴り殺される様な事件が多発しています。身分制度も不条理ですが、孤立して他者との「間」が無くなってしまうと、「人間」はただの生物学的な「ヒト」になってしまう。
少年Mのイムジン河
松山猛
木楽社 2002
「パッチギ」という映画の原作ということだ。結構「京都の匂い」のする少年向け読み物。
もう話してもいいかな
松山猛
小学館 2006
上掲書で書ききれなかったことを、書いたのだろうと思われる。「平凡パンチ」「アンアン」「VAN」「JUN」「カメラ」「時計」から"Foxfire"に至るまで、我々の時代の「若者ファッション」がどのようにして形作られて行ったのか、という情景描写は面白い。最近で言えば「麗江」「ハロン湾」という訳だ。これって今にして思えば文明開化の続きなんですね。
そして最後は「焼き物」となると、もう勘弁してヨという感じだ。
All Over Creation
Ruth Ozeki
Viking 2003
Penguin Books 2004
には風水に凝り楽茶碗を愛でる「米国消費文明を影で操る翁」みたいな人物が出て来るが、まさにそんな雰囲気。
本書で面白いのは題名。「もう話してもいいかな」というのは読者に向かって語りかけると見せかけて、実は別の読み方もありそうだ。「イムジン河」から「悲しくてやりきれない」までの間に、「見てはイケナイもの」を見てしまったはずの著者なので、その辺りの事、なぜ加藤和彦君が自殺したかについても知っているはずなのだが、何も書いてない。書いてない事が逆に闇の深さを暗示している。「まだ話してはいけない」のだ。
もうひとりのイルカ物語
イルカ
マガジンハウス 2008
イルカがカメ吉君との暮らしを綴っている。晩年の家尊が「パーキンソン氏症候群」を患っていたので、暮らしぶりはおおむね想像出来る。「人間、病気では死なない」のだね。カメ吉も「男のロマン」のくちだ。
by dehoudai
| 2011-03-21 12:21
| まちづくり
|
Comments(3)
八王子の腹黒須市長は「徹底的な節電に協力を」のチラシを税金で印刷、真っ先に市立図書館を閉鎖し、甲州街道銀杏並木の街灯を消し、夜間、女性が一人では歩けないようにした。並木だから人が物陰に隠れているようでアラカンの爺だって怖いぜ。
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dehoudai at 2011-03-21 14:58
「国家機構」というのは経済産業省原子力アンポンタンが世界中に見せた通り、中枢に行く程カラッポで、小人数の官僚が勝手放題をしているのですが、弾除下請で忠誠を誓う「自治」体首長や、小役人が一番ゴリなんでは。街宣車の畳に正座して「押忍」とやっている若者諸君に帰化人が多いのと似ています。
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dehoudai at 2011-03-21 15:00
西図書館は最近のきらびやかな建物に較べると、60年代の労働運動なぞ盛んだった頃の雰囲気で、照明なぞも背表紙を見るのに必要なだけ、という建物なので、節電もそれほど気にならないと思います。