2011年 03月 06日
神と翁の民俗学 |
神と翁の民俗学
山折哲雄
講談社学術文庫 1991
西浦の田楽には「しんたい」という曲があるが、あれは「神体」なんだろうか。てなことを古文書を繙いて明らかにしよう、というのが本書だ。日本人の伝統からすると、闇夜に聴いたことが無い音が響いたり、空中に怪しい光が現れるのは神異であっても「神像」というのは無かったそうだ。
西浦の田楽には「もどき」というのがある。村人が農作業を面白おかしく演じると、カミサマが面白がって農作業をする、という演出だ。これで農事に神祐が加わるのだ。カミサマは村人に乗り移って農事を行うので、「神像」あるいは神の「面」は出てこない。
大陸から仏教がもたらされ、ついでに仏像がもたらされることで、信仰の対象が形を持つことになったそうだ。西浦の田楽では、農事を表す様な地能が終わる頃「仏の舞」となって、「面」を付けた「カンノンサマ」が登場する。沖縄の「ミルク」に似た、かなりインパクトがある面だ。 久米邦武センセイによれば古代日本人の信仰は、今で言えばエコロジーみたいなものであり「日本人の信仰には故人崇拝無し」だったそうだ。それが東大寺の建立に当たって、筑紫の日向の小戸の橘の檍原の近所から、崇神天皇すなわち八幡神が手を貸しに来た、という辺りが故人崇拝の始まり、ということなので、やはり仏教伝来が刺激になっているのだろう。
山折哲雄
講談社学術文庫 1991
西浦の田楽には「しんたい」という曲があるが、あれは「神体」なんだろうか。てなことを古文書を繙いて明らかにしよう、というのが本書だ。日本人の伝統からすると、闇夜に聴いたことが無い音が響いたり、空中に怪しい光が現れるのは神異であっても「神像」というのは無かったそうだ。
西浦の田楽には「もどき」というのがある。村人が農作業を面白おかしく演じると、カミサマが面白がって農作業をする、という演出だ。これで農事に神祐が加わるのだ。カミサマは村人に乗り移って農事を行うので、「神像」あるいは神の「面」は出てこない。
大陸から仏教がもたらされ、ついでに仏像がもたらされることで、信仰の対象が形を持つことになったそうだ。西浦の田楽では、農事を表す様な地能が終わる頃「仏の舞」となって、「面」を付けた「カンノンサマ」が登場する。沖縄の「ミルク」に似た、かなりインパクトがある面だ。
by dehoudai
| 2011-03-06 19:15
| ほん
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