2011年 03月 05日
アジール |
しかしそんなものの向こう、そこかしこに「鴨江」の空気が漂っている。歩きながらこれは「アジール」であると考えれば、理解しやすいことに気付いた。
江戸時代の寺院は、今で言えば TDL, USJ のようなテーマパークとして人々を引きつけたことが知られるが、それもこうした行政上の「アジール」としての性格に基づくものだっただろう。仏に帰依し、宗教的な救済を求める、という表の顔とともに、町方の行政権を逃れて「アジール」に潜り込む様々な人々がうごめいていたことが考えられる。
大正元年に鉄道院濱松工場が成るや、旅籠町から遊郭がやって来たのも、そうした「アジール」としての鴨江を求めてだっただろう。女達に取っての遊郭も単なる「苦界」では無く、様々な救済の可能性を秘めていたはずだ。昭和10年、街道筋にあった警察署が移転して来たのも、労働運動に限らず、お上の目を避けて「アジール」に流れ込む様々な人々に目を光らせる為だったのではあるまいか。
近代的な町並みにはなっているが、鴨江の辺りにはかって「アジール」だった頃の「地霊」が、あちこちに潜んでいる様な気がする。駅周辺から田町辺りに掛けての「ドキドキワクワク」が主として文明開化以降のものだとすれば、鴨江の「ドキドキワクワク」はもっと根深いものだ。
昭和30年代まで、春秋の彼岸会には駅前から鴨江観音まで縁日の出店が並んだ。地獄の釜のふたが開き、母の手をしっかり握っていないと、サーカスの裏にうずくまる「人さらい」に連れて行かれるのだ。「お鴨江」には地上権力の統制に服さない「ドキドキワクワク」が吹き出していた。しかしこれも近年すっかり「無菌化」されてしまった様だ。
今ではケータイとかインターネットなどがそうした「アジール」の役を果たしているのだろう。
by dehoudai
| 2011-03-05 22:51
| まちづくり
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