2011年 03月 02日
プウルの傍らで |
プウルの傍らで
中島敦全集2
筑摩書房 2001 所収
京城中学のプウルの傍らに寝転んで中島敦君が昭和7年8月の夕空を眺めている。美しい空だ。中島君は眺めながら、8年前までの京城での生活を思い出している。
関東大震災までは、まだ軍歌の響きはそれほど大きくもなかった様だ。そこはかとなく矢多一生の「長春歌」などにも通じる甘酸っぱいモダニズムのかほりもする。
びっくりしたのは中島敦君が京城に行くまで通っていたのは、濱松尋常小学校、つまり今で言う元城小学校であり、私の小学校の先輩に当たるのだ。
ついでに言えば私が通っていた頃の高校のプールは、本作が成った頃、古橋広之進君なぞの少し前に生徒が掘ったものだった。我々の頃には既にプウルの傍らの樹々がうっそうと生い茂って、夏の初めには底にどろりと木の葉が溜まっていたが、昭和7年頃にはロスアンジェルス・オリンピックもあり、「プウルの傍ら」というのが大層モダンな場所だったのかもしれない。
しかし中島敦の「朝鮮の少女」への眼差しは、湯浅克衛の「カンナニ」とは決定的に違っている。湯浅の眼差しが「可哀想に」という、他者に対する自分の優位をいとおしむ自己愛から逃れていないのに対し、中島の眼差しは時として自分の命と引き換えになるかもしれない「他者の尊重」だ。
自分の優位をいとおしむ自己愛は、連日テレビから垂れ流される「俺がお前の言うことを聞くか、お前が俺の言うことを聞くか、」という関西風の「お笑いと称するいじめ」と同じものだ。
本作を紹介してくれた朝鮮大学校の李英哲先生に感謝
昌徳宮
北方行
中島敦全集2
筑摩書房 2001 所収
京城中学のプウルの傍らに寝転んで中島敦君が昭和7年8月の夕空を眺めている。美しい空だ。中島君は眺めながら、8年前までの京城での生活を思い出している。
関東大震災までは、まだ軍歌の響きはそれほど大きくもなかった様だ。そこはかとなく矢多一生の「長春歌」などにも通じる甘酸っぱいモダニズムのかほりもする。
びっくりしたのは中島敦君が京城に行くまで通っていたのは、濱松尋常小学校、つまり今で言う元城小学校であり、私の小学校の先輩に当たるのだ。
ついでに言えば私が通っていた頃の高校のプールは、本作が成った頃、古橋広之進君なぞの少し前に生徒が掘ったものだった。我々の頃には既にプウルの傍らの樹々がうっそうと生い茂って、夏の初めには底にどろりと木の葉が溜まっていたが、昭和7年頃にはロスアンジェルス・オリンピックもあり、「プウルの傍ら」というのが大層モダンな場所だったのかもしれない。
しかし中島敦の「朝鮮の少女」への眼差しは、湯浅克衛の「カンナニ」とは決定的に違っている。湯浅の眼差しが「可哀想に」という、他者に対する自分の優位をいとおしむ自己愛から逃れていないのに対し、中島の眼差しは時として自分の命と引き換えになるかもしれない「他者の尊重」だ。
自分の優位をいとおしむ自己愛は、連日テレビから垂れ流される「俺がお前の言うことを聞くか、お前が俺の言うことを聞くか、」という関西風の「お笑いと称するいじめ」と同じものだ。
本作を紹介してくれた朝鮮大学校の李英哲先生に感謝
昌徳宮
北方行
by dehoudai
| 2011-03-02 17:41
| ほん
|
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