2011年 02月 16日
独りよがり |
しかし住宅デザインなんて、独りよがりで宜しいんではないかと思うのだ。当代きっての独りよがりの宗匠は、東京大学のF森教授だろう。F森先生は近代建築史がご専門なので、20世紀の日本に於ける住宅デザインの独りよがりぶりにお詳しいのだ。
御一新とともに、文明開化という事で我が国は「欧米先進国の優れた文物を移入する。」事に狂奔した。欧米の気候風土に根ざして、彼の地の人々が「良がって」いたものを、そのまま移植したのだ。普遍的な技術を移入するならまだしも、技術そっちのけで「見てくれ」を移入するのが手っ取り早く、デークの親方に頼んで「洋館」を造らせる事も流行った。今になれば「擬洋風」という事で、レトロな魅力なんであろうが、実は「見てくれ」の移入は、西部劇に出て来る大陸横断の幌馬車にならったワゴンから、ロンドンの下町を脱出した人々のあこがれであった「庭付戸建ての郊外住宅」に至るまで、現在も続いている。
欧米の人々が良がっていたものを良がらないと、紳士淑女の面目に関わる、というのは建築に限らない。ユーラシア大陸の反対側の人々が良がっている民族音楽を、「古典」と称して神妙に拝聴するなども、似た様なものだ。指揮者が汗を飛ばしながら催促してもなかなか拍手が合わないのだから、いっその事お笑い番組の公開収録の如く、袖に「良がり屋」を立たせておいて、「良がり屋」が手を挙げたら皆拍手する事にしたら良かろう。
御一新の時代の人々が「欧米先進国の独りよがり」に狂奔したのに較べ、幕末の侍の方が腰が据わっている。幕末の使節団の記録を読むと、飯噴ものの記事も多いのだが、そのある部分は、我々の頭が「欧米先進国の独りよがり」に冒されているからで、どっちがより飯噴ものなのかも、実は良く分からない。
先輩の次の教えは「後輩に譲れ」だ。爺は自分のしくじりを白状して、後輩への戒めを残したら、邪魔にならん様にして、若者が仕事をしやすい環境を整えるのが役割である。この辺りの分からんヤツは、晩年幸せになれんぞと。
ヘイトアシュベリー
禍根
by dehoudai
| 2011-02-16 18:02
| まちづくり
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