2011年 02月 15日
自らに由る |
国家が頼りにならないときには、民衆は元気なのだが、文明開化と同様、戦後の産業近代化でも、国家が頼りになると、怠惰な民衆は国家に寄りかかり、「上頼み」となって自堕落に落ちる。そのくせ「行政がやるべきことをやらないからだ。」などと文句ばかりが出るのだ。果ては「国家に自己のアイデンティティーをオネダリ」という飯噴事が出来する。
「自由」は「自らに由る」のであって、「上頼み」は「他由」のであるから、自由は無い。英語の"Liberty"は「抑圧からの解放」なので、抑圧が無ければ"Liberty"も有り得ない。米国が絶えず世界中を廻って悪役を見つけ出し、戦争など仕掛けたりするのも、悪役が居ないと「リベラリズムの守護神」がやれないからだ。戦後の日本もそうやって眺めると面白い。
それに較べると「自由」は仏教の悟りに近い感じがする。「吾唯知足」というのが「自由」の真相ではなかろうか。「物由」では幸せにはなれない。昨今など癌にせよ、環境汚染にせよ、人が物に殺され掛かっている。「禅宗銭無し」なので、飢えさえしなければ「自由」である事で幸せになれる。
by dehoudai
| 2011-02-15 18:10
| きせつ
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