2010年 11月 26日
ヘイトアシュベリー |
サンフランシスコのヘイトアシュベリーと言えば「花のサンフランシスコ」みたいなヒッピー文化の聖地だった。
辺りには1906年の地震の復興で建てられた、"painted ladies"とか、"gingerbread-菓子パン様式"と呼ばれる木造住宅が並んでいる。
東海岸や、シアトルでもたまに見掛ける、もっと古い住宅には、レンガ作りのものもあるが、ヘイトアシュベリーにあるのは、震災復興の粗製濫造で造られた木造住宅、しかもレンガ造・石造建築の装飾を、ご丁寧に木造で再現したものだ。
開拓時代の住宅は、質素な造りなだけに、装飾などは無く、機能第一なだけに、むしろヘイトアシュベリーの着飾った木造住宅よりも、近代的にさえ見える。
花のサンフランシスコを飾る、軒先や玄関の破風など見ると、木造建築ではあるが、何が何でも、ヨーロッパの石造建築の真似をしてやろう、という後進国の先進国文明に対する、あこがれと言うか、執念の様なものが凝縮している感じがして微笑ましい。こうした擬石造建築が、米国の文化財の一角を占めているのだ。
建築技術的には19世紀末に、急速に発達した動力木工機械が、こうした繰物・木彫の爆発的流行を生んだ様だ。北西部の寒帯雨林は、無尽蔵と言える程に豊富で、それまでのアパラチア山脈周辺などのオーク材に較べて、格段に安く、柔らかな為に加工が容易という条件にも恵まれていて、大陸横断鉄道であっという間に広がって行った。
「一度建てたら最後の審判の日まで使う」というヨーロッパの石造建築では考えられ無かった、木造住宅の広がりは、後の「郊外住宅」の元となったとも言えるだろう。1920年代の米国は、空前の住宅ブームを迎えることとなった。最早住宅は洞穴住居の昔から続いて来た、動かすことの出来ない「環境」に属するものではなく、耐久消費財として、産業経済活動に取り込まれる道をたどり始めたのだ。
あのころ
辺りには1906年の地震の復興で建てられた、"painted ladies"とか、"gingerbread-菓子パン様式"と呼ばれる木造住宅が並んでいる。
東海岸や、シアトルでもたまに見掛ける、もっと古い住宅には、レンガ作りのものもあるが、ヘイトアシュベリーにあるのは、震災復興の粗製濫造で造られた木造住宅、しかもレンガ造・石造建築の装飾を、ご丁寧に木造で再現したものだ。
開拓時代の住宅は、質素な造りなだけに、装飾などは無く、機能第一なだけに、むしろヘイトアシュベリーの着飾った木造住宅よりも、近代的にさえ見える。
花のサンフランシスコを飾る、軒先や玄関の破風など見ると、木造建築ではあるが、何が何でも、ヨーロッパの石造建築の真似をしてやろう、という後進国の先進国文明に対する、あこがれと言うか、執念の様なものが凝縮している感じがして微笑ましい。こうした擬石造建築が、米国の文化財の一角を占めているのだ。
建築技術的には19世紀末に、急速に発達した動力木工機械が、こうした繰物・木彫の爆発的流行を生んだ様だ。北西部の寒帯雨林は、無尽蔵と言える程に豊富で、それまでのアパラチア山脈周辺などのオーク材に較べて、格段に安く、柔らかな為に加工が容易という条件にも恵まれていて、大陸横断鉄道であっという間に広がって行った。
「一度建てたら最後の審判の日まで使う」というヨーロッパの石造建築では考えられ無かった、木造住宅の広がりは、後の「郊外住宅」の元となったとも言えるだろう。1920年代の米国は、空前の住宅ブームを迎えることとなった。最早住宅は洞穴住居の昔から続いて来た、動かすことの出来ない「環境」に属するものではなく、耐久消費財として、産業経済活動に取り込まれる道をたどり始めたのだ。
あのころ
by dehoudai
| 2010-11-26 22:29
| まちづくり
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