2010年 10月 22日
のぶへいおじさん |
碑文次の通り。
鳥居信平(1883-1946)在所の縁者に聞くと「信平おじさんは台湾へ行っただけえが、お酒ん好きな人だったでねえ、、、」という評価だった。銅像は「偉い人」という表情ではなく、自分の仕事を存分にやっている、という表情で良い出来だ。しかしこの時代の日本の田舎では、せっかく東京帝国大学を卒業しながら、偉い役人にもならず、台湾で砂糖屋の技師なぞ、という評価だったのだろうか。南極探検隊の鳥居隊長の父上なんだそうだ。
静岡県周智郡上山梨村(現袋井市Fukuroi Clty )出身
東京帝国大学農科大学卒業後・農商務省農務局勤務などを経て、1914年台湾製糖(株)に転職した。台湾南部の屏東市へ赴任した鳥居技師は、農場灌漑用水改善のための水利工事に着手し、林辺渓上流に長さ328mの地下ダムを埋設、ここに集めた伏水流を全長3436mの導水路に導き、更に支線を通して屏東平野全域に水がゆきわたるよう工夫した。このエ法は自然環境を破壊することなく、生態の維持と管理の容易さなどにおいて画期的な試みであり、地域住民の生活向上と経済の発展に大きく貢献した。技師はこれにより1936年に農業土木の関係者として初めて日本農学賞を受賞した。
胸像は奇美実業グループ創業者許文龍の塑造による。
奇美文化基金会 贈
2009年4月
101030訂正
在所の縁者によれば、「飲ん平だったのは兄弟衆で、信平おじさんは勉強を良くしたので帝大へ入れた。」そうだ。
偉人
by dehoudai
| 2010-10-22 20:38
| まちづくり
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