2010年 09月 24日
禍根 |
図は
モダン都市文化18巻
「アパート」
ゆまに書房 2004 所収
建築写真類聚・別巻「新興アパートメント」
洪洋社 昭和9年発行
より
「コロリが流行ったのはペロリの所為」という俗説は間違いで、あれは長崎に入港した阿蘭陀船に端を発しているそうだ。しかし開国を望まず、平和で文化的な暮らしを営んでいた我が国民に、「水をくれ。」だの「薪をくれ。」だのと、無理矢理開国を迫ったのは、太平洋の鯨族を絶滅させようという、捕鯨船に必要だったからで、"Cove"なぞ現今の米国の金持ち暇つぶし系環境派とは、大いに主張が違っている。
開国の後、将軍家定が安政4年、江戸城でハリスを引見したときのしつらえは、それ以後の日本人に、呪いの如くまつわりついている。異人ハリスは土足のまま江戸城に上がり込み、黒船を怖れる幕府はそれを許してしまった。畳の上で暮らしていた日本に、椅子が持ち込まれたのだ。
あのとき畳の上に椅子を置かないで、中庭に台でも設けて椅子を置き、ハリスを腰掛けさせて、お庭番みたいに引見すれば、その後の日本住宅の運命は変わっていたかもしれない。しかしこれでは外国の使臣に礼が立たないというか、左右に群臣が居並ぶ中、という威厳が成り立たないというか、「将軍様の上段に座布団を2尺程重ねなさい、」とか言う「笑点」の見過ぎみたいな天璋院篤姫様の入れ知恵かで、黒船の脅しの元本来のプロトコールを押し切られてしまった。
かくして大正の末年に至っても、当時の最先端風俗たる「アパートメントハウス」で主客が対面するのは畳の上に置いた椅子、ということになってしまい、畳文化絶滅の悪しき種は順調に育っておる。畳の上に置いた椅子に腰を下ろして、将軍に目通りするハリス君の気分、というのが文化人の資格の様になってしまったのである。最近じゃあ「畳だと借り手がない。」と言うわけで、学生下宿に至るまで、畳をはがしてフローリングを張る、という有様だ。
by dehoudai
| 2010-09-24 21:20
| まちづくり
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Comments(1)
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by
kuunuu at 2010-09-25 01:07
あの肉叩きは、すっかり忘れていたんだけど、私が一緒の時に買ったんだって(笑)。私が別の時に同じのを買ったかあ、きっと私が奨めたんだと思います。今回も、だ。くだらないものは私が奨めてる。わははは。
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