2010年 09月 07日
Panama Hotel |
現在の橋立湯は残念ながら銭湯として営業しているわけではない。しかしPanama Hotelは浴室共用のベッドアンドブレックファストとして営業中であり、事前に予約すれば地下の浴場も見学可能であると言う。現在のオウナーもそうしたことに理解があるのだろう。
こういう所に泊まって大正時代、日系人排斥が激しくなる頃の、赤ゲット体験をするのも良かろう。
こちらは1968年、静岡県浜名郡舞阪町西町の銭湯。幼少の頃、母と女湯に入っていた所だ。
縁者が戦前、保養所として使っていた建物に転がり込んでいたので、内風呂はあったのだが、女手一つでは風呂を立てることは出来ない。小学校に上がる頃から風呂を立てるのが私の役目だった。
1 干潮時だと井戸が干上がるので、潮見表で頃合を計る。
2 井戸でがちゃぽんとバケツに水を汲む。
3 バケツの水で風呂桶を満たす。
4 薪を割る。
5 新聞紙を丸めて釜に入れ、その上に細いものから順に薪を乗せる。
6 火を点けて燃え付くまで団扇で扇ぐ。
7 湯加減を見て、薪を足し、出来上がり。
大変な幼児労働に見えるが、気が向いていれば、趣味と実益をかねた面白い遊びだった、子供連で遊んでいても、「今日はもうじき干潮になるで、風呂の水を汲まにゃいかん。」と仲間を放り出すぐらいの魅力はあったのだ。携帯ゲームで遊ぶしか無い現代の子供は、労働に参加させてもらえない、という点で可哀想だ。
その後母は浴室の近代化に、執念を燃やし続ける。
井戸の上に小型ポンプを載せて、水道管を延ばし、蛇口を回すと水が出る様にする。
引き上げ暮らしの仮住まいを終え、浜松市内に家を建てる。水道は市水道だが、風呂釜は薪の釜で以前と変わらず。
風呂釜をガス釜に代える。
ガス給湯器を入れる。とても風呂の湯を沸かす能力は無いので、相変わらず、ガス風呂釜を使う。風呂場にもシャワーなるものを着けるのだが、湯量が到底足りず、結局使わない。
家を建て替え、二階が風呂場なので、ユニットを入れる。ガス給湯器を入れるが、追炊き配管は金が掛かるのでやっていない。
19年目でガス給湯器を入れ換えるが、追炊き配管は金が掛かるのでやっていない。
振り返ると住宅設計というのも、この手の設備近代化でクライアントは幸せになり、設計料を惜しまなかった様な所もある。その反面、もっと根源的な住まいへの省察というものが、おざなりにされてきた嫌いは無いだろうか。
少し前の賃貸アパートが、畳の部屋では借り手が無いということから、畳を止めてフローリングにする例が増えていると言う。明治このかた「畳のデザイン」に、ちゃんと取り組んでこなかった付けが回って、優れた日本文化が消えてゆくようで困る。
畳が消えてゆけば畳の廻りも変わってゆく。緑茶も缶入清涼飲料になって、販路は拡大しただろうが、失われたものもあろう。明治の一頃「桑茶」が外貨獲得の旗頭だったが、シアトルは主要仕向け先の一つだった。銭湯こそ無くなってしまったが、現在のPanama HotelはTea and Coffee Houseという営業もしている様なので、こんな所に極上の玉露を送り込み、味わってもらうのも、販路拡大の一助になるのではなかろうか。先年は「世界お茶まつり」という催し関連で戦前の緑茶のポスターが複製されていたが、そんなものもぴったりだ。
Hotel on the Corner of Bitter and Sweet
SENTO AT SIXTH AND MAIN
Natsuhara's Store
村芝居
Panama Hotel
エチケット
園満寺
Holiday Bowl
こういう所に泊まって大正時代、日系人排斥が激しくなる頃の、赤ゲット体験をするのも良かろう。
こちらは1968年、静岡県浜名郡舞阪町西町の銭湯。幼少の頃、母と女湯に入っていた所だ。
縁者が戦前、保養所として使っていた建物に転がり込んでいたので、内風呂はあったのだが、女手一つでは風呂を立てることは出来ない。小学校に上がる頃から風呂を立てるのが私の役目だった。
1 干潮時だと井戸が干上がるので、潮見表で頃合を計る。
2 井戸でがちゃぽんとバケツに水を汲む。
3 バケツの水で風呂桶を満たす。
4 薪を割る。
5 新聞紙を丸めて釜に入れ、その上に細いものから順に薪を乗せる。
6 火を点けて燃え付くまで団扇で扇ぐ。
7 湯加減を見て、薪を足し、出来上がり。
大変な幼児労働に見えるが、気が向いていれば、趣味と実益をかねた面白い遊びだった、子供連で遊んでいても、「今日はもうじき干潮になるで、風呂の水を汲まにゃいかん。」と仲間を放り出すぐらいの魅力はあったのだ。携帯ゲームで遊ぶしか無い現代の子供は、労働に参加させてもらえない、という点で可哀想だ。
その後母は浴室の近代化に、執念を燃やし続ける。
井戸の上に小型ポンプを載せて、水道管を延ばし、蛇口を回すと水が出る様にする。
引き上げ暮らしの仮住まいを終え、浜松市内に家を建てる。水道は市水道だが、風呂釜は薪の釜で以前と変わらず。
風呂釜をガス釜に代える。
ガス給湯器を入れる。とても風呂の湯を沸かす能力は無いので、相変わらず、ガス風呂釜を使う。風呂場にもシャワーなるものを着けるのだが、湯量が到底足りず、結局使わない。
家を建て替え、二階が風呂場なので、ユニットを入れる。ガス給湯器を入れるが、追炊き配管は金が掛かるのでやっていない。
19年目でガス給湯器を入れ換えるが、追炊き配管は金が掛かるのでやっていない。
振り返ると住宅設計というのも、この手の設備近代化でクライアントは幸せになり、設計料を惜しまなかった様な所もある。その反面、もっと根源的な住まいへの省察というものが、おざなりにされてきた嫌いは無いだろうか。
少し前の賃貸アパートが、畳の部屋では借り手が無いということから、畳を止めてフローリングにする例が増えていると言う。明治このかた「畳のデザイン」に、ちゃんと取り組んでこなかった付けが回って、優れた日本文化が消えてゆくようで困る。
畳が消えてゆけば畳の廻りも変わってゆく。緑茶も缶入清涼飲料になって、販路は拡大しただろうが、失われたものもあろう。明治の一頃「桑茶」が外貨獲得の旗頭だったが、シアトルは主要仕向け先の一つだった。銭湯こそ無くなってしまったが、現在のPanama HotelはTea and Coffee Houseという営業もしている様なので、こんな所に極上の玉露を送り込み、味わってもらうのも、販路拡大の一助になるのではなかろうか。先年は「世界お茶まつり」という催し関連で戦前の緑茶のポスターが複製されていたが、そんなものもぴったりだ。
Hotel on the Corner of Bitter and Sweet
SENTO AT SIXTH AND MAIN
Natsuhara's Store
村芝居
Panama Hotel
エチケット
園満寺
Holiday Bowl
by dehoudai
| 2010-09-07 10:16
| まちづくり
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