2010年 09月 04日
村芝居 |
現在のワシントン州の日系人口が5.6万人というから、当時は1万数千人であったろうか。合併前の引佐町もそんなものだろう。引佐町には横尾歌舞伎というのがあるので、舞台と客席の様子も同じ様な「村芝居」だったのではなかろうか。
横尾歌舞伎だと顔見知りでもいれば「おー、コヤマクンじゃないか、こっちへこいよ。」と幕の内弁当が振る舞われて、茶碗があてがわれ、「何だ、飲まんのか、泊まってけよ、引佐町にも旅館ぐらいあるぞ。」となるのだが、NIPPONKANでも同じ様なものだったのだろうか。
当家では文久2年生の曾祖父が村芝居のスーパースターで、晩年縁側で姉をあやすのに、口三味線入で義太夫を語った、という。
今の日本でははっきり「歌舞伎」と銘打って、菅原伝授手習鑑などを掛けるのだが、娯楽システムが崩壊してしまった昭和20年代の村芝居には、復員兵などが活躍してハチャメチャなものもあった様だ。
その後の映画に出てくる、小林明のガンマンとアイヌの少女の恋とか、悪漢にさらわれた少女を、馬に乗った森繁久彌が追いかける、というやたら西部劇仕立ての国籍不明大活劇も、この辺りが源流かもしれない。
SENTO AT SIXTH AND MAIN
Natsuhara's Store
村芝居
Panama Hotel
エチケット
園満寺
Holiday Bowl
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by dehoudai
| 2010-09-04 19:07
| まちづくり
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