2010年 08月 28日
時間ヨ止マレ |
東伊豆は1961年に伊豆急線が開通して、人々の暮らしは大きく変わった。開通式には石原裕次郎がヘリコプターで登場、というのが「いかにも」だ。観光客の頭に中に流れていた「君といつまでも」「いつまでもいつまでも」というメロディーは、「高度経済成長がいつまでも続いて欲しい」ということだった様に思える。
そして商店街など見ると、その後あまり変わりはない。観光客とは違い、苦労を重ねて来た地元の人々の中には、大都会の華やかな生活を尻目に、「鉄道が出来て、生活がもう充分に楽になったのだから、この便利な暮らしがいつまでも続いて欲しい。」と、その後の50年を送った人も多かろう。「我唯知足」という、幸せな人々だ。しかし商店街を見ると、自家用車に殺されつつあるのが解る。
帰りの電車には伊東からキム・ヒロさんにそっくりの男が乗り込んできた。一廻り上の70がらみだろうか。触れたら指の切れそうな凄みが、全身から放射されていた。「昔は男を張った」というより、「未だ現役」という感じ。
伊豆急谷津トンネルは全長2,796mを16ヶ月で完成させているという。そうした難工事を完成させるには、様々な人々の協力があったろうし、その中にはその後地元に居着いた人もいるのではなかろうか。キム・ヒロさんの御父君も、確か国鉄二俣線建設の仕事をされていたのではなかったか。
郷土史を覗くと、丹那トンネルでも半島からの労務者が、鉄火な場面を含み、数多く活躍したと言う。更には李垠殿下の別邸が最初沼津に設けられ、「昌徳宮 」と名付けられたが、後には伊東に移されたとのことで、伊豆半島は李王家ともゆかりがあるのだ。
新聞では「朝鮮学校に無償化適用へ」と報じている。差別をしてもロクなことは無い、というのが国民の総意だろう。
8月24日は「浮島丸」の命日だった。事実は明らかにして記憶することが必要だ。朝鮮新報がそれを思い出させてくれたのは有り難いことだった。しかし「殺人悪魔日本の罪過を絶対に忘れるな。同じ空の下で暮らせない百年来の敵である日本に百倍、千倍の復讐を。」(労働新聞24日付論説)と憎しみを煽り合っても、明るい未来は無かろう。
朝鮮学校に学ぶ子供達も校門を出れば、現代の日本で暮らす普通の若者である。子供を育てるのは環境であって、学校教育だけではない。子供達も「まあ、教科書にはそう書いてあったけど、」いう判断力は持っているものと思う。考える頭を持たず、大人の言うことを丸呑みにする子供を育てよう、という人々は、どこにでもいるもので、こっちの方が日本の未来を暗くしている。朝鮮学校の子供達が怖くて校門を出られない、という話もあって、こちらはNYTimesが眉をしかめている。
波に向かって「馬鹿野郎ーっ」と叫ぶ。
白浜海岸
コレハコノ世ノコトナラズ
時間ヨ止マレ
by dehoudai
| 2010-08-28 09:38
| まちづくり
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