2010年 08月 15日
寓居 |
「寓居」というのは幕藩時代には「君命に従って、」見ず知らずの土地にやってきた侍衆が、割り当てられた家に掲げた表札、という感じがする。改易で御国替えとなった君公の憤懣に共感したり、「いずれあの家老屋敷へ乗り込んでやる。」という物騒なものもあったろう。幕藩時代のまちづくりは、侍社会のヒエラルキーの空間化だ。ああした「寓居」は藩の持ち物だったのだろうか。
下北沢辺の「寓居」はもっと新しい。廻りの住宅密度を少し下げれば、五月とメイがトラックで到着した「トトロの家」の時代だ。
明治の御一新では、新式の学校が次々と作られ、全国から身分を問わず秀才を集めて、新国家の礎を固めることとなった。ところが帝国大学なぞを卒業したこれらの秀才は、故郷には帰らず国家に吸い上げられてしまう。
高等教育を受けさせることの出来る家庭は、限られていた時代だ。これらの秀才諸君も、地方のエリート層に属する家庭の子弟が多かっただろう。
江戸時代の「庄屋様」、農地解放前の「地主様」という、このエリート層は、年貢の取りまとめは当然として、地場産業の振興から、治山治水に至る、地域環境全体に責任を持つ階層として、様々な特権を与えられていた。
郷関から庄屋様の坊ちゃんを送り出すとき、村人達は必ずや庄屋様の坊ちゃんが、東京で文明開化の新知識を会得して故郷に帰り、村の経営にその成果を活用してくれるものと、信じていただろう。
釘に木札なら可愛いのだが、石の門柱に穴をうがって、「○○寓」なんつー石の表札をセメントで固めたものもある。こうなると「何れ帰りますから。」という庄屋様の坊ちゃんのアリバイ工作っぽい。
庄屋様の坊ちゃんが、新時代の知識として、医学などを選んだ場合、故郷に帰り、それまでの無医村に文明の灯といった、それなりの成果をもたらすことも出来た。
ところが地場産業の振興から治山治水に至る、地域環境の総合的な経営となると、うまく行かない。一つには近代科学が高度に分化しすぎて、全てを一人で見るのが既に不可能なのだ。さらに多くの場合、庄屋様の坊ちゃんは「東京へ出たまま、帰らない。」
「文明開化」で「先進国の文物を取り入れ」るのが始まった頃には、まだ庄屋様の坊ちゃんにも自分の立場が良く分かっていただろう。下北沢村辺に屋敷を構えても、「○○寓」なんつー表札を出して、自分が本当に奉仕すべき地域環境は、ここではなくて故郷の村であることの、戒めにもしていたであろう。自分が受けた高等教育を始めとする各種の特権は、その奉仕義務の為のものであることを忘れないために、「○○寓」なんつー表札を出していたのではあるまいか。
しかし時は流れ、明治は遠く、郷関はさらに遠のいてゆく。自分が東京へ出てきたのは、故郷の村の地域環境を総合的に経営する為ではなく、自分自身の個人的な栄達の為だったと、郷関の教えはきれいさっぱり忘れてしまう。
かくて庄屋様の坊ちゃんは、郷関で自分を送り出してくれた村人への、幾ばくかの自責の念を抱きつつ瞑目するのだ。すると後に残された坊ちゃんの坊ちゃん達は、そんな親父の思いなど知るよしも無し、「文明開化」で「先進国の文物を取り入れ」る時代に作られた、科挙に倣った暗記式の受験術だけは、しっかり受け継いで、有名大学に潜り込み、昔ながらに公務員=オサムライサンになるか、近代産業の雇い人になって、「昔からあそこに屋敷があるんで、」とやるのだ。身を立てる才覚が無くてもアパートを建てて、家賃で暮らすという手が残されている。これでは藩邸生まれの江戸育ちで、御領地など見たくもない、という馬鹿殿と同じだ。
それが選挙となると、馬鹿殿自身ならまだしも、その地で育ったわけでもないのに、馬鹿殿のオトモダチみたいなのが現れて、弁舌鮮やかに「地域の為。」とやるのだから、たまったもんではない。税制の抜本改革を言うなら、この辺りも少しは考えて欲しいものだ。
今日では田舎から上京してきた若者が、そうしたアパートを借りて、所帯を持ったりするわけで、これは文字元来の意味からする、現代の「寓居」であろう。
これが京都であれば「三条殿」は千年余の昔から「三条殿」であり、七条××通りを、上がったり下がったりしたところでも、千余年前から同じ商いをしているものが尊ばれるのだが、なにせ東京は都として作られたわけではなく、「旧東北原住民討伐軍最高司令部」の幕の廻りに、町人どもが集まったところを、無理矢理都にしてしまったので、東京全体が「寓居」性を色濃く保っているのだろう。「江戸は諸国のハキダメ」というこの性格が、これまでの日本の活力を支えてきたのも事実なら、その皺寄せが居住環境に集積しているのも事実だ。
我が国の居住環境が、先進諸国の中ではずば抜けて貧困であり、住宅面積ばかりだだっ広くなっても、かけ声が大きいばかりで、なかなか「まちづくり」がうまく行かない。
「この世は仮の住まひ」なる鴨長明氏の無常観を、住宅問題に当てはめようという転嫁から始まって、「君命を蒙り、」どこへでも移住した侍根性の上に、庄屋様の坊ちゃんのアリバイ工作が重なり、果ては一人の収入では暮らして行けないので、たまの休日も掃除洗濯で終わり、住まいを整える余裕など更に無い、という若者の借家住まいが重なりと、「屋上屋を重ね」ているので、なかなか解決は難しそうだ。
故郷の村人はかくて年貢をむしり取られ、戦争では息子の命をむしり取られ、産業近代化では生き残りをむしり取られ、その上地域環境に責任を持つはずの、庄屋様の坊ちゃんまでむしり取られて、地域環境そのものが荒廃してゆく。
寓居
下北沢村
夏祭り
by dehoudai
| 2010-08-15 14:01
| まちづくり
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