2010年 06月 06日
砂利 |
戦後電源開発ということで、1930年代の米国の失対事業に倣って、文明開化したツケが回ってきているのだ。彼の地の河川の流下勾配は、我が国の中部山岳地帯のそれの数百分の一なので、ちょいとダムを造れば、長さ数百kmの貯水湖が出来、土砂の堆積も少ないので、未だに流域住民は他地域の半分以下という電気代の恩恵に与っている。それに引き換え、佐久間ダムは、列島改造論の頃、辺り構わず作られた砂防ダム同様、今や巨大な砂利溜めである。「ダムは無駄」といわれる所以だ。
2000年のドナウ河「集中豪雨」では、2週間に200mm(!)という降水量で、決壊地域では排水に6ヶ月(!)を、要したこという。我が国で200mmといえば、24時間雨量で「雨が降ったねえ。」程度ではないか。我が国には発電用の水源はあるのだ。後は専門家の文献翻訳による、巨大プロジェクトでやらないで、「ことことこっとん」と、マイクロ発電の技術開発をやれば良いではないか。内野など白糸の滝周辺に散在する発電所、天竜川水系でいえば、気田川に並ぶ、水力発電の黎明期に作られたであろう、小規模水路式発電所の方が、風景にとけ込んで可愛い。
しかし文明開化の悲しさで、翻訳すべきモトネタがないと、自分の頭で考えたことの無い専門家は、手も足も出ず、責任を取ることなど、考えも及ばない官僚は「海外先進事例」以外の「民間技術開発」には見向きもしないで、原発に突っ走るのだ。
「海外先進事例」の「技術導入」で作られた「巨大国家プロジェクト」による水力発電に起因する、養浜工事の費用は、電気代に加算すべきではないのか。
チェルノブイリ事故に続き、やがて起こるであろう原発事故の復旧補償費用は、原発による電気料金から補填できるのだろうか。
史上最大と言われるカリブ海の原油流出事故の被害は、復元できるのだろうか。復元するとしたら、その費用は石油価格・石油火力発電による電気代に、上乗せされるのだろうか。
夏の小旅行
by dehoudai
| 2010-06-06 16:57
| まちづくり
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