2010年 03月 16日
ワリングフォードセンターのこと |
ひとつは施設の利用について。一帯は市役所の北5km程、UWの西に当り、我々と同世代の、ベビーブーマーの育った街らしく、センターも廃校になった小学校を何とか地域活性化につなげようとした、「おかあさん力」を感じさせるものだった。玩具・子供服・レストラン・花屋・文房具などを商う店が並んでおり、それも郊外の大型ショッピングセンターとは違う、手作りの感じが満ちていた。
日本で手作りと言うと、豆腐屋などが機械でなく、手先で昔と変わらない作り方をしているものを指すが、米国ではハンドメイドと言うと、地域のお母さんが知恵を出し合って、他所には無いものを造り出す、という方に力点が置かれているようだった。文教地区らしくちょっと洒落た、スノッブな店が並んでいた。レストランも小学校のカフェテリアを模したものか、壁には「1957年フットボールチーム」なんて写真が飾られていた。日本の様に「先進事例選択メニュー」ではまちづくりにはならないのだろう。
それが20年経ち、店舗が入れ替わる度に、「地域の手作り」という味が薄れて、他所にもある様な高収益の店舗に、入れ替わりつつあるのが寂しい。というのが記事の趣旨だった。記事には「地主」とあったが、もともと公有地なので、開発運営主体が手軽に収益を高めようとしている事もあるのだろう。地域住民の年齢構成も変わって来ただろうし、投書の中には子供服・子供の本から大人の服・高級書店へ、というものもあった。世代の移り変わり、ということからいけば、限られた選択枝から、近隣住民の反対を押し切って、建てられたマンションを、選び取ってしまった家族の子供を、地域住民がどう育てて行くか、というテーマにも似た感じがする。
もうひとつ考えさせられたのは、こうした記事が新聞に乗り、それに投書が集まって地域を形作って行く、という米国式のまちづくりだ。元々米国の新聞は3行広告と投書欄が一番面白い、という言い方があったものが、インターネットでこの流れが加速されているのだろう。どの新聞を見ても、自主規制で霞ヶ関の御奉行様の、思い通りの記事を並べる、我が国の新聞とは大分違う。
by dehoudai
| 2010-03-16 14:33
| まちづくり
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