2009年 07月 25日
瘴癘の地 |
京城では乙未年に大日本帝国の意を体した三浦梧楼が、東海散士こと柴四郎なぞを使嗾して、国母弑害事件を引き起こしている。当時の京城は「瘴癘の地」とは逆に「四神相応の地」であり、都を立ち出て漢江に到れば、田面を渡る風は心地良く、別荘など建てて、「鴎を馴すには私心が有ってはならぬ。」などと嘯く権臣もおったようだ。
しかしこの「四神相応の地」は誠にデリケートなものであって、都市化の進展とともに「瘴癘の地」と化しつつ有るのではないかという印象を持った。
東京と京城をGoogleの衛星写真で比較してみよう。東京都の人口が1.300万人と言うが、これは概ね2-3階の低層住宅を主体にしており、住宅地に対する密度は1.5階建てにも満たないのではないだろうか。
ところが京城は廻りを山に囲まれており、1,100万人という特別市の人口は、30kmx20km程の盆地に居住している。東京を10に割って、上に積み重ねたものと思って良い。
産業近代化とともに、首都に流入する人口を収容する為に作られたのは、膨大な高層マンション群だった。そして韓国では日本における住宅公団の様に、公共事業体がこれを行うのでなく、現代建設初め、民間企業がそうしたマンション群を供給したのだった。事業の公益性を根拠に、莫大な税金が投入されたであろうことも想像に難くない。
さて上掲の写真は概ね左図近傍である。画面左に広大な日影を生じているのが、私的営利法人によって開発された、韓国を象徴する近代的都市型集合住宅だ。画面中央の清溪川は、画面下で中浪川に注ぎ、すぐに漢江に合流する。元々川の落合は水温の差によって水蒸気を発生するのだが、近年の都市化による気温の上昇で、これが加速されているはずだ。「湿熱の気候風土によって」様々な障害が出ているのではないかと、心配である。
既存市街地に襲いかかる近代的都市型集合住宅群の姿は、形状市内の至る所に見ることが出来る。竜山では反対派住民に戦闘警察との衝突で死者が出て、今だに解決していないそうだ。
江南では旧市街とは比べ物にならない規模で、大規模面開発が行われ、今も続けられている。図は高速バスターミナルの東側一帯。周辺は全て壁状の25階建て前後の、日本でいえば「超高層」マンションだ。面密度が余りにも高いので、お見受けしたところ京城の市街地全体が「巨大九龍城」と見えてしまう。
産業近代化と都市集住という時期に、日本で作られた多摩ニュータウンでは、高さも低く、建物の間隔も広い。そうした永山団地でも建物住民ともどもに老朽化し、「ここで死なしてくれ。」という訳で建替えが思う様に進まない。「80年代に3,200万円で買い、バブルの頃には4,000万円と言われた自宅が、先年査定したら800万円とのことで、今では500万円を切っているだろう。定年まで3,200万円の残債を払い続けるとなると、何の為に生きているやら。」なんて事例を京城市民もご参考にしたら良かろう。
日本では1960年代後半以降の住宅ブームで人々を引きつけたのは、都市型集合住宅よりも戸建て分譲地であった。このほうが建替えに際しても個人の責任がはっきりしている。これわ横浜市港北区すみれが丘近傍。
こうした低層戸建て住宅地がうまく更新出来れば、日本の住宅地は「巨大九龍城」にならずに済むのだが、都市計画法、建築基準法と言うザルの目をかいくぐって、日本の住宅地を「巨大九龍城」にしようという「無法者」が全国で騒ぎを引き起こしている。
欧米に眼を移してみよう。パリの東北郊外というと、ジタンの育ったところで、貧乏人の住むところということだ。集合住宅が主体なのだが、市街地のフィジカルスペックには余裕が有る様だ。
イミョンバク氏によれば市街地を自家用車が時速80kmで突っ走るのが近代都市、ということの様だが、米国では戸建て住宅の外延化が高速道路建設の圧力となっている。インターチェンジから5分以内の戸建てしか売れないのだ。インターを降りたら、住宅街を時速50マイルで走るヤツは居ない。「超高層住宅は開発途上国向け」というのが1970年代以降の欧米の共通認識であって、貧乏人は敷地300坪、建坪150坪の巨大住宅のサブプライムローンに喘いでいる。
大統領は建設業の御出身ということで、小生と同業なのは心強い限りだが、学生の頃に教えられた、「都市型集合住宅」というのと、お考えは大分違う様だ。下の写真はバンクーバーの都市型集合住宅。
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変わる街、変わらない街
by dehoudai
| 2009-07-25 15:48
| まちづくり
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