2009年 04月 28日
壁の中の優雅な暮らし |
何して食べてるの?
に始まって、
半ば脅迫的にマンション設計を手伝え、
という話もあったのだが、現在に至るまで何とか逃げ延びて、マンションの設計というのをやった事が無い。理由は集合住宅での人生というのがどうも想像出来ないからだ。賃貸マンションならばまだ想像はつく。江戸時代の長屋暮らしが手掛かりになる。何時の日か、戸建て住宅に住む夢を抱いた人々が、その日まで暮らすという事だってあり得るだろう。しかし分譲マンションとなると、なかなか想像出来ない。我が国に区分所有の集合住宅というものが導入されてから日が浅く、これが分譲マンション文化だ、というところまで成長していない様な気がする。
都市型住宅の事を中国語では「建城家居」というのだ、ということを知って、何となく腑に落ちるところがあった。ここでいう「城」とは、天守閣の事ではなく「城壁」を指す。日本では「都市」という言葉が使われるが、中国では「城市」がそれに当るという。城壁に囲まれてマーケットのあるところが集住地域になるのだ。2,000年以上も戦乱に明け暮れた中国では、さもありなんと思う。最近では福建省の「客家環樓」が観光地として脚光を浴びているが、これなど「外的を防ぐための城壁」が住居の最重要要素であった事を明らかに示している。
ヨーロッパではどうだろうかと言うと、既に2,000年前のローマ市の中心市街地では、5階建て程度の集合住宅が一般的であったという。彼の地にはそうした文化が根付いているのだ。ヨーロッパでもこの2,000年というもの、民族間の紛争が絶えた事は無く、城壁に囲まれていなければ安眠出来ない、という暮らしが城壁に囲まれた高密度の「城市」を発展させて来た。都市型集合住宅もまた、そのために発達して来たものだ。
これと対照的に日本では城壁が発達しなかった。比較的単一民族で、異民族を抹殺する、などという事が無かった事が関連しているのでは無いだろうか。平城京・平安京にしても、羅城門がある割には、城壁は無く、門の左右は形ばかりの築地塀であったと言う。寝殿造りの貴族邸宅から大名屋敷の庭に到る都市庭園は、中国の貴族庭園と似た様なものだが、江戸の中心に於ける路地裏の庶民住宅であっても、庭の自然を楽しむことが出来たのは茶室の「路地庭」にも受け継がれている。日本に於ける「屋敷囲い」はせいぜい向うに三階松が覗いて見える「粋な黒塀」であって、ヨーロッパ・中国に見られる様な、異民族の侵入を防ぐ城壁ではなかった。
「建城家居」という中国語に接して気付いたのは、最近のマンションに見受ける様になった、錠の掛かった建物だ。居住者でなければ、門から中に入ることが出来ない、という住宅の作りは、これまでの日本では特殊なものだ。エドワード・モースが日光へ旅行して、中禅寺湖へ登ろうとした時、貴重品を預けようとすると、宿屋の女将が、「床脇の棚へ置いて下さい。」と言ったそうだ。同行の友人は「この宿屋は盗賊とグルなのだ。手引きをして我々の金を盗らせようとしている。」というのに、しばらく日本で暮らしたモースは「だまされたと思って、言う通りにしてみろ。」と登山に出掛け、晩方帰って来ると、貴重品は朝宿を出たままに置かれており、友人は「不思議な国もあったものだ。」と唖然としていたという。
戸に鍵の掛けてなかった日本は既に過去のものとなり、マンションに入るには、インターホンで居住者に、鍵を開けてもらわねばならない時代となったのだ。しかし同じ様な家族構成で、同じ様な収入を得て、同じ様な暮らしをする人々だけで、マンションの居住者が構成されていなければ、これが全くセキュリティの向上につながらないことは、先日の墨田区に於ける女性殺害事件でも立証されている。鍵に頼れば頼る程、密室化は進み、危険は増すのだ。そうした危険な住まいに暮らす事に掛けては、中国人の方が我々よりも数段と修行を積んで来ているのではあるまいか。
人民網の記事によれば日本人の60.9%が「一戸建てを持ちたい」と答え、18.0%が「マンションを持ちたい」と答えたのに対し、中国人では「マンションを持ちたい」が71.9%にのぼり、「一戸建てを持ちたい」はわずか6.3%に過ぎなかったという。これも数千年に渡って、城壁に囲まれた暮らしが、安全だと言う文化を育んで来た伝統と、そのようなものが必要無かった国との差だろう。我が国では「塀の中の暮らし」というと、「刑務所暮らし」と相場が決まっていたものが、鍵のかかったマンションで「壁の中の暮らし」が広がりつつあるのだが、そうした暮らしが我々の身に付く様になるには、これからまだ長い時間がかかりそうで、その間には様々な事件も起こるだろう。
by dehoudai
| 2009-04-28 21:45
| まちづくり
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