2008年 12月 21日
美しい会津 |
情報化・歴史化された、慶応四年九月二十二日は誰にでも理解できることになっているのだが、ここには情報化されないで、無意識下に蓄積された歳月が、磐梯山と言う山の貌になって朝晩目に入ってくるのだろう。通勤ルートで踏切の向うに見える山であっても、どこかで、慶応四年九月二十二日に鶴ヶ城から眺めた山の姿と重なっている様な気がする。
佐賀城内に立つ明治七年佐賀の乱の立派な記念碑を見たことがあるが、戊辰年の記念碑で凄いのは福島県相馬郡新地町駒ケ嶺城下に建つもの。由来書きの禁じられた碑なので、説明は一切無く「仙台藩士戊辰戦没之碑」という碑面の文字だけが立つのだが、その形がオベリスクなのだ。
新たな知見は会津が古来、朱の産地であった、ということだ。伊勢と同様朱を祀るお宮があるらしい。
喜多方には「自由民権運動発祥之地」という福島事件の碑もあるそうだが、見る時間がなかったのは残念。
鶴ヶ城
美しい会津
喜多方ラーメン
by dehoudai
| 2008-12-21 21:45
| まちづくり
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Comments(2)
松平家当主が氏子総代を務める会津の鎭守であった神社の神職株を売り払い上京、家族を顧みず、趣味に生き、妾宅で人生を終えた祖父は時代の変動をどう感じていたのか...知る由も無し。
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dehoudai at 2008-12-22 10:16
口を開くことを禁じられた、或は自ら禁じた人生でしょうね。対照的なのは小布施で見た幕末の幟です。当時の神職など、知識人がお宮に立てた「農者国本也」などといった幟なのですが、サイズが異様なのです。高さが2-30mはある。戊辰前後に村々で一斉に立てたらしい。さぞ異様な光景だったと思います。